まずはこの店から。私がこれまで入った居酒屋でいちばん好きだったのは大阪十三「つる糸」。繁華街のちょっと奥。気さくなママが切り盛り。ちょうどママが主人を亡くした頃からこの店を知る。この店の自慢は「納豆」「小鰯の天ぷら」。味はどちらも絶品。納豆は大粒のいかにも納豆らしい納豆。これを塩で食べるのがこの店の流儀。小鰯はガスコンロに乗せた大きな天ぷら鍋でからりと揚げて大葉に包んで出してくれる。毎日食べても飽きない味。酒は池田の呉春。普通の2級を軽いアルミのタンポで一合づつ湯煎で燗をつけてくれる。これを小ぶりのガラスコップで飲む。「アルミタンポ」、「ガラス小コップ」、「呉春」、「ぬる燗」のコンビは絶妙。これぞ居酒屋での究極の到達点ではないかと思う。店の造作、調度より、先ず一番の基本である「美味しく酒を飲ませること」にこだわる。これこそが居酒屋の原点ではないか。 この「つる糸」の姿勢、何の気取りも気負いもない。愛想のいいもてなし。「旨さ」「安さ」にこだわった店だが凛とした風格。客に能書きをたれるでもなく、押しつけるでもなく。江戸好みで、自己のスタイルを貫く店も惹かれるが、「酒の本質」にとことんこだわり、あとはまあほどほどに。余裕のあるこんな浪花風の安らぎの店もいいもの。ところがある時から「呉春」が異常人気となる。古くからのなじみのこの店ですら、通常のルートでは手に入らなくなる。だが金に任せて高く買い、高く売ることを潔しとしない「つる糸」。先ず「客のふところ」を考えた。賢明なことに「呉春」に変わる酒探しの道を選んだ。ある時は黙って、そしてある時は初めに告げ、営業をしながらの味覚テストを始めた。一連の看板酒探しで見事に選ばれた酒は丹波の地酒「鳳鳴」。丹波篠山の地酒では「小鼓」が有名。「鳳鳴」はあまり知られていない。だが私は以前からこの酒が好き。小鼓のような、どちらかというとすっきりした味でなく、芯のしっかりした深い味わいの酒。小鼓が「文人墨客」なら鳳鳴はさしずめ「古武士」の風格か。 この酒に替えてしばらく通っていたある日のこと、ママは嬉しそうに言う。「今度の酒の方が美味しいと言ってくれる人が多い」と。確かにどうしても呉春でないと、という人用に一時期置いていたが、その必要もなくなったと聞いた。「無理に手に入れた酒を高い値段で客に出す。それは客のためではなく、自分のため。つまりは店の勝手である」ということをこの店は教えてくれた。ある日、この名店、ひっそりと消え入るように店を閉じた。いまだ、つる糸のアルミタンポから小さなガラスコップに注ぐ心地よい感触を手が覚えている。 次は私の生まれた九州の地。長閑で温暖の里、日向は宮崎駅前。地鶏炭焼きの「吾愛人」。これを「わかな」と読む。色黒で強面の主人が苦虫を噛みつぶしたような顔をして鶏を焼く。床に置いた七輪に溢れんばかりの炭が熾る。アルミのトレイに山盛りの鶏肉を素手で鷲掴みにし、一応定量を計る。間髪を入れず、七輪の網に乗せ、豪快に焼く。油が滴り、ボーボーと油煙を上げる。この油煙が独特の黒い焼き色となる。それを横長で深いカレー皿のような物に山盛りにして出してくれる。固くコリコリした歯触りが何とも言えない。固いのに、歯切れがいいのだ。串に刺して焼くヤワな味とは一線を画する。素材はいいが、やたら上品に焼き上げる「名店の味」とも異なるのだ。 ここで飲む焼酎は都城の「霧島」、芋焼酎。私はこの銘柄が一番口に合う。両親の故郷である大分県は国東半島。小さい頃、連れられて行った祝儀や法事で、子供ながら勧められ舐めるようにして口にした「西の関」。この酒の味が私の日本酒の基準点。つまり標準原器。この酒の味を中心に日本酒の味を比較できるので都合がいい。頭の中には西の関を中心にした酒地図が出来ている。同じように焼酎では「霧島」。大分は県南、佐伯市の隣は宮崎県。「いいちこ」などない頃、焼酎と言えば「ダイヤ焼酎」か「霧島」だった。この霧島、芋なのにスッキリとしていてそれでいてコクのある味。1万円もするプレミア焼酎も確かにうまいが、あまり興味はない。高価な焼酎を水のように薄めて飲むより、安くてうまいのをグイとあおりたい。舐めるように飲むのはウィスキーの専売特許でいい。何せ焼酎は味わうのではなく、「気合いで飲む酒」なのだから。高級タイプ、長期貯蔵、樽貯蔵は確かに焼酎の進化だが、逆に「焼酎本来の心意気」を失って失遂する道を進んでいるのかと思ったり……お、脱線。店に話を戻そう。 ここの主人、愛嬌はないがウィットに富んでいる。いつだったか、この店にメニューの貼り紙。「関アジあります」。でもやたら安い。「これはいい」とさっそく頼む。味はまあまあ。主人に「これ本当に関アジか」と聞くと何とも面白い返事が。「自分の舟で日向灘に漁に行ってアジを釣り上げた。釣ったとき、よく見たら頭が鹿児島の方を向いていたからこれは佐賀関から泳いできた関アジに違いない」なるほど、と納得してしまった。またこんなこともあった。この店のキープは ほとんど一升瓶入りの「霧島」。3人で飲みに行って新しくキープした瓶を、厚い天然木のカウンターに勢いをつけてドーンと置いた。そのとき、何と瓶の底が抜け、あたりは大洪水。カウンターからまるで滝のように流れ落ちる。私と隣のK氏は膝から下がびっしょり。慌ててタオルで「ズボンが飲んだ」焼酎を吸い取らせる。ああもったいない。だが二人ともひるむことなく飲み続けた。そのあと、ホテルでズボンプレッサーを借りた。これはアルコールクリーニングをしたようなもの。こぼす前よりスッキリした。日本酒だったら大変、ベタベタドロドロの地獄絵図になっていただろう。あらためて焼酎で良かったとしみじみ思った。「霧島」、バンザイ。 この店の客は良く飲み、良く喋る。傍目にも気持ちがいい。ある日の事。腰が立たなくなるまで飲んだ客、主人は「ああ、またか」といった感じで事務的に奥方に電話。ほどなく人通りの途絶えたアーケードにスルスル車が乗り入れる気配。「いつもすいません」と言うが早いか、両の手を後ろから差しのべ、ムズと旦那を羽交い締めにする。間髪を入れずに傍らの客が椅子を横にずらす。奥方は旦那をズルズルと引きずり、あらかじめ開けてあったドアから乗せ、再び静まったアーケードに静かに滑り出した。何だか都会では考えられないような不思議な光景を目にした。短編ドラマを見終わった興奮がそこに残った。おおらかな風土のおおらかな飲み方は輝くばかりにうらやましい。さすがは焼酎アイランド日向。意外と知られていないが九州のなかでも最もバリエーションに富んだ焼酎文化を誇っているのは宮崎。奥が深い。宮崎焼酎こそが日本一であると信じて止まない私である。 |